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2021年もドラフト会議で新たな選手たちがカープに指名されました。
今回は過去の社会人出身投手たちの活躍とプロ入り後について解説します。
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過去20年のカープに入団した社会人出身投手
過去20年にカープに入団した社会人出身投手は以下の通りです。
指名選手 | 現在 | |
---|---|---|
2001 | 筒井正也 (ヤマハ) | 引退 |
2003 | 仁部智 (TDK) | 引退 |
2004 | 田中敬人 (JFE西日本) | 引退 |
2006 | 宮崎充登 (ホンダ鈴鹿)、上野弘文 (トヨタ自動車)、青木高広 (日産自動車) | 引退 |
2009 | 川口盛外 (王子製紙) | 引退 |
2010 | 岩見優輝 (大阪ガス)、金丸将也 (東海理化) | 引退 |
2013 | 西原圭大 (ニチダイ) | 引退 |
2015 | 横山弘樹 (NTT東日本)、仲尾次オスカル (ホンダ) | 引退 |
2020 | 栗林良吏 (トヨタ自動車) | – |
2021 | 森翔平 (三菱重工West)、松本竜也 (Honda鈴鹿) | – |
2022 | 益田武尚 (東京ガス)、河野佳 (大阪ガス)、長谷部銀次 (トヨタ自動車) | – |
※ 2021、2022年は記事投稿時の2020年から追記しています。
① 過去20年のドラフトで社会人投手は13投手
2000年以降の社会人出身の投手は20年間で13投手だけでした。
毎年7選手前後が指名される中、13投手はかなり少ないと言って良いでしょう。
大学卒の投手は26投手が指名されており、比較するとちょうど半分でした。
確かにイメージ的にも大学卒の投手が活躍している印象が強いかと思います。
現在、カープに在籍する社会人出身投手は栗林良吏投手のみ。
移籍した投手も含めて、その他のすべての投手がすでに引退しています。
※ その後、2021年・2022年のドラフトで社会人投手が入団しています。
② 異例だった2006年のカープドラフト会議
振り返ると、2006年のドラフト会議は異例だったと言えます。
当時は大学・社会人ドラフトと高校生ドラフトで区別されていました。
高校生ドラフトの1位は前田健太投手、ドラフト3位が會澤翼選手。
注目なのは、大学・社会人ドラフトの4選手全員が社会人野球の選手。
社会人野球の選手の内訳は投手が3名で、野手が1名。
ここまで社会人野球の選手に偏ったドラフトは1度もありません。
当時は投手陣のコマ不足もあり、こうした指名となりました。
結果、先発候補、左の中継ぎ候補、抑え候補の3投手を獲得しています。
2006年ドラフト指名選手
高校生ドラフト | 大学・社会人ドラフト | |
---|---|---|
希望枠 | – | 宮崎充登 (ホンダ鈴鹿) |
1位 | 前田健太 (PL学園) | – |
2位 | – | – |
3位 | 会澤翼 (水戸短大付属) | 上野弘文 (トヨタ自動車) |
4位 | – | 青木高広 (日産自動車) |
5位 | – | 中東直己 (ホンダ鈴鹿) |
第2次 | 山中達也 (丸亀城西) | – |
③ ほとんどの投手がリリーフ要因として指名
別の特徴として、ほとんどの投手がリリーフ要因として入団しています。
先発要員で指名したのは宮崎充登投手と青木高広投手の横山弘樹投手の3人。
その他の10投手は入団時からリリーフ投手要因として指名されています。
大学卒の投手の多くが先発要員で入団するのとは対照的と言えるでしょう。
ただ、先発候補として期待された3投手もローテーション投手にはなれず。
結果として、過去20年間で先発として活躍した社会人出身の投手はいません。
④ 2000年以降の指名で唯一活躍した青木高広投手
13投手の中で唯一活躍したといって良いのが青木高広投手。
入団4年目までは先発として登板するも、目立った成績は残せず。
5年目の2011年からはリリーフに転向し、一気に主力投手に成長。
シーズンを通してフル回転し、チーム最多の76試合に登板しました。
76試合 2勝4敗 20H 3.27 投球回55.0
しかし、翌年のキャンプで膝関節の靭帯損傷で離脱。
リハビリ後に復帰するも、2013年に巨人の小野淳平投手とのトレードが成立。
カープで主力として活躍したのは2011年の1年間のみとなりました。
引退後は巨人のスカウトに就任し、2021年から3軍投手コーチに就任しています。
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いつから社会人出身投手の活躍は止まったのか
過去にはたくさんの社会人出身投手がカープで活躍しています。
2000~2010年代は不発でしたが、その流れはいつからなのでしょうか。
① 1990年代までは高い確率で1軍で活躍
1990年代までさかのぼり、社会人出身投手を調べました。
最も活躍したのが1994年にドラフト4位指名した高橋建投手。
他にも、リリーフとして複数年に渡り活躍した投手も3名います。
1990年代で唯一目立った活躍がなかったのは上田好剛投手のみ。
かなり高い確率で社会人出身投手が戦力となっています。
少なくとも2000年代に入るまではドラフト指名に成功しています。
1990年代に指名した社会人出身投手
指名選手 | 通算成績 | |
---|---|---|
1993 | 上田好剛 | 1軍登板無し |
1994 | 高橋建 | 459試合 70勝92敗 5S 23H 4.33 投球回1459.2 |
1995 | 玉木重雄 | 373試合 34勝23敗 8S 5H 3.89 投球回509 |
1997 | 小林幹英 | 238試合 19勝22敗 29S 3.90 投球回337 |
1999 | 佐竹健太 | 261試合 5勝8敗 41H 4.91 投球回223.2 |
② 最後の「ローテーション投手」は高橋建投手
社会人出身投手で最後に先発投手として活躍したのは高橋建投手です。
2001~2003年にかけて年間25試合前後に先発登板し、二桁勝利もあげました。
投球イニングも170前後を数え、十分に先発投手の役割を果たしました。
2004年もローテーション入りするも、結果を残せず18試合の登板に終わってます。
2001-2003年の先発登板数と成績
先発登板 | 成績 | |
---|---|---|
2001 | 25試合 | 30試合 10勝8敗 4.27 投球回173.0 |
2002 | 25試合 | 26試合 9勝14敗 3.84 投球回173.1 |
2003 | 24試合 | 24試合 9勝8敗 3.66 投球回167.0 |
その後、左腕不足の影響で一旦はリリーフ投手としてブルペンを支えました。
2007年から先発復帰しましたが、2009年にFAでニューヨーク・メッツへ移籍。
最終的に二桁勝利は2001年のみとなりましたが、プロ通算で182試合に先発。
チーム事情で便利屋的な起用も多かったですが、先発投手といっても良いでしょう。
最近の投手で言えば、九里亜蓮投手のようなタイプでしょうか。
チーム事情で先発したり、リリーフしたりと使い勝手の良い投手でしたね。
③ ジンクスを打破した栗林良吏投手
2021年は栗林良吏投手がドラフト1位で入団しました。
久々に即戦力の社会人出身投手として期待されるレベルの投手が入団。
開幕2戦目の2021年3月27日にはプロ初登板で初セーブをマーク。
無事に1イニングを無失点で登板を終え、抑えとしての役割を果たしました。
新人投手がプロ初登板で初セーブを記録したのは永川勝浩投手以来。
チームとして18年ぶりとなる記録を、背番号の”20″と共につなぎました。
開幕からチームの守護神として抜擢。
これから様々な課題と向き合いながら、プロでの活躍がスタートします。
2021年 栗林良吏投手の記録
イベント | 月別成績 | |
---|---|---|
3月 | 27日 プロ初登板初セーブ | 4月に合算 |
4月 | 12試合 (12回) 0勝0敗8s 0.00 WHIP 0.50 | |
5月 | 3日 デビューから13試合連続無失点 4日 デビューから14試合連続無失点 |
7試合 (7回2/3) 0勝0敗2s 0.00 WHIP 0.91 |
6月 | 10試合 (9回) 0勝1敗5s 2.00 WHIP 1.33 | |
7月 | 5試合 (5回) 0勝0敗3s 0.00 WHIP 0.80 | |
8月 | 4試合 (4回) 0勝0敗4s 0.00 WHIP 0.75 | |
9月 | 15試合 (15回) 0勝0敗15s 1.84 WHIP 1.30 | |
10月 | 9月に合算 |
追記
その後、新人最多セーブ記録を樹立し、新人王に輝きました。
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今回のまとめ
今回は過去20年のカープの社会人出身投手について解説しました。
栗林良吏投手が活躍しましたが、全体的に活躍できる投手が少ない状況です。
1990年代までは多くの社会人出身投手が活躍してきました。
近年では大学卒の投手が主力として活躍する傾向が続いています。
2020-2021年と3人の社会人投手を指名しドラフトの傾向に少し変化も。
今後もこの方針が続くのか、元に戻るのかは彼らの活躍次第かも知れません。
即戦力として期待される社会人投手たち。
彼らがケガすること無く、1年間1軍で活躍することを期待しています。
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